この半年ぐらい、ちょっと苦労しつつ「光明真言」というのを諳んじられるよう、ちょっと頑張っておりました。
 「おん あぼきゃ べいろしゃのうまかぼだら まにはんどまじんばら はらばりたや うん」というご真言です。
 性分がズボラな分、一度に五尊の仏様にお祈りできるなんて、まぁ便利と思った次第なんですね。 
 で、ここでスピリチュアルをご専門にしている方なら、「こんな功徳がありました」「彼女ができました」「スポーツカーでブイブイ言わせてます」なんてことをアピールできるのでしょうが、どうも、ズボラな分、そんな功徳はまだ来ておりません(汗)。
 
 そうこうしながら、ご真言やお経を「ただ唱えているだけじゃ意味がない」的な発言を見つけて、ちょっと考えてしまいました。光明真言の場合、五智如来へ気持ちを伝えようとするものですから、おぼろげですが、如来像が並んでいる様子を思い浮かべています。当然、僧侶ではないですし、信心が浅いものですから、印をどうしよう?居住まいをどうしよう?線香は?木魚は?太鼓は?鈴は?法具は?なんて事には気も手もお金も回りません。そうすると「ただ唱えてるだけじゃん」でダメなんですかねぇ。
 その発言主によれば、唯一、唱えているだけでも功徳があるのは「南無阿弥陀仏」だけなんだそうです。阿弥陀様の功徳を頂けるだけでも凄いのです。が、うーむ。私の場合、現世利益というか煩悩はキッチリ有って…。薬師如来様や不動明王様、それに歓喜天様。それに神社でもご利益は考えつつお参りはしておりまして…ですね。
 やっぱり自分なりに、少しでも豊かになって、それを基礎にして他の人にも善き人になれるようにと思うんですよねぇ。効果があろうがなかろうが、自分が佳きと思い、人に迷惑も掛けていないのだからと、これからも続けていこうと思います(笑)。