先日、ある大きめの神社2つに参拝してきました。どちらもかなり久しぶりの参拝です。心づもりとしては、その後、未踏(😁)の地で幾つかの神社にお参りして帰宅!の予定だったのです。が、気温が高くなったこともあってか、2つ目の神社で実質「ギブアップ!」。9,000歩ほどですから、それほど身体に刺激的な消耗はないはずですが、まだ順応しきれていない高気温が影響したんだろうな。と言うのが、恐らく生理学的…というか当たり前の解釈です。
 が、時々あるんです。お参りして疲れるパターンが。一つは、この日がそうであったと思えるように歩きまわったりして、その挙げ句に脚が棒になってしまう事です。当たり前ですね。
 次が、神社仏閣がありがたすぎるのでしょうか、歩きまわったりもしていないのに、一社しかお詣りしていないのに、ガツンと疲れが乗ってくる感じです。私はココロの中で「神恩が乗っかってる」と解釈してます。その神恩に心や身体がついていけずに疲労感になって現れているのかなあ。という感じですね。最初に書いた疲労感と違うのは、脚が張ったり、腰が痛くなったりということは全く無くて、ただただ「疲れてんな」と言う感覚です。
もう一つのパターンも、上と同じような感じなのですが、人の「業(ごう)」が乗っかってる感じです。金運などのご利益が「ウリ」になっている神社、それほど大きくないのに矢鱈と参拝客が多い神社では、人当たりもあるのでしょうが、物凄い疲れを感じます。人が多くても大きな神社、木や緑に囲まれた神社では感じることが殆どないのです。もしかしたら、こうした「鎮守の森」が人の業に対する吸着フィルターになって浄化しているのではないかと思う事も多いのです。逆に言えば、大きくても鎮守の森が侘びしくなっていたり、荒れているところがあると、やはり吸着フィルターが働かないのでしょうか、疲れる事が少なくありません。但し!例祭などは別です。お祭りとなると普段は静かな神社に子どもたちなどがわーキャー言っていても、こちらが疲れるような事はなく、ウキウキすることの方が多いのです。が、そんな事と関係なく、まるで休憩場所になっていたり、あちこちで「金運」「財運」と言われていたりすると、フィルターのキャパシティをオーバーして他の参拝客に業として変な疲労感を与えるんじゃないかなぁ。と思うんですよね。
 逆に、本当に自分がパワースポット、ある意味、所願を成就させたいとき、心が疲れている時などは、自分だけの静かな小さな神社でお詣りすることにしてます。これなら、キャパもフィルターも関係なし!神様とマンツーマンでお話できますからね。
 氏神様はもちろんですが、自分だけのパワースポット、探してみると楽しいですよ!