先日、世田谷観音寺へお詣りしてきました。ソメイヨシノが満開だった時にもお詣りしたのですが、黄色い花をつける五黄桜がそろそろ満開かなと思って2週連続でお詣りした次第です。
 バスで伺う時には、裏門にバス停があるので、そちらから入るのですが、この日は徒歩で家から伺ったので山門からのお詣りです。まずは不動堂に手を合わせ、そして本堂、特攻平和観音堂、天山隊の慰霊碑と神州不滅攻撃隊の碑へと足を進めます。
 鬱になってからの双方向参拝で本堂に目を閉じて手を合わせていると、発症の頃には真っ赤に染まったまぶたの裏が、この日は徐々に柔らかな黄緑色に染まります。色が完全に変わるのは不思議なものですし、残像などなら目を閉じた瞬間に網膜に残っていた白い本堂のままや影が映ると思うのですが、徐々に徐々に目の奥から黄緑が上がってくる感じなんですよね。
 そして、最近、恒例になっている御神籤と護摩木、そして不動堂に備えるお香を頂いて再び不動堂前に進みます。なーんとなく、ピンチになるとそばにいてくれる気がするお不動様ですから、お香は欠かしては行けない気がするんですよね(なら、毎月の法要にもお詣りすれば良いんですけど)。御神籤は、お不動様へのお詣りが終わってから開こうと思っていたので、それを合わせた手の中に収めつつ、双方向参拝。すると今度は深い紫が上がってきます。「紫かぁ、仏教では良いお色だわねぇ」とか思いつつ、いつも見守っていただいているお礼と所願成就をお願いして、いざ御神籤です。
 結果は「半吉」。実は、先週も引いていたのも半吉。で「ん?んん?」とおもって読み進めると、先週と全く同じ。失せ物は出ないが、目標には進んでいると、如何にも半吉らしく佳きことも悪きことも並んでいます。何十枚もある中の一枚、それも何種類もある御神籤の中で全く同じものが出るのも不思議なものです。
 忙しく働くご住職を取っ捕まえて、ちょっとご報告。「同じ御神籤が出るって、これって当たるってことかもですね」と言うと「そういうタイミングなんでしょうね」と(この日。財布を落としてしまったのですが、無事に手元に戻りました。御神籤は外れましたが、自分の不注意には気をつけないとと言う暗示だったのかもですね)。そして、目を閉じて映った2つの光、紫と黄緑について、ちょっと尋ねてみると「意味は解らないけど、紫は確かに高貴な色だし、黄緑も紫に次いで良い色だから、良い方向にあると考えて良いのでは?」とのお話でした。
 後から、こういう現象について調べてみると、目の異常だとか、残像だとか色々出てくるんですが…😁。目を閉じて暫くリラックスすると現れてくる光に気持ちの焦点を当てると明らかになる色なので、目が物理的に反応しているのとはちょっと違う気がします。そう考えて「オーラー」とか色々とスピ的ワードをつけてみると「丹光」と言う現象が一番近いようです。調べたサイト毎に、チャクラが関係するだのレイキだのと書かれているので、余りよく見てないんですけどね(💦)。ただ、この現象、観音寺以外でも「佳き神社だなぁ」とか「ここの空気は好きだなぁ」と思う寺社では必ずと言っていいほど起きていますし、逆にものは試しで街なかでやってみても起きません(自宅では神棚に意識を持っていくと現れたりもします)。脳が勝手に見せている幻惑なのかも知れませんが、佳きことと思っていれば、自然と気分も晴れます。そうなると春の陽気も合わせて少しは病気にも良い作用があるような気がしてくるので、「丹光!」と思って寺社巡りでは留意しておこうかと思った次第です。