世田谷には観音寺と言うお寺があります。戦後に建立された新しいお寺ですが、お堂や仏像の多くが古くは平安時代から江戸時代までに作られたものが移築や移設され、一見しただけでは古刹だと勘違いする人も多いお寺です。そして、もう一つの特徴が「祈願寺」だと言うことです。普通、私達が参拝するお寺は、本堂の脇などに通路があって、そこに檀家さんの墓地が広がります。が、観音寺には一般の方の墓地はありません。
 そんな観音寺、名前の通りご本尊は観世音菩薩、刀印を結んだ観世音菩薩像が本堂で優しく見守ってくれています。対面すると、とてもホッとする仏像です。そして、その本堂の隣に、もう一つの観音堂、特攻平和観音が祀られています。そこには、神風特別攻撃隊に代表される航空機での特攻の他、モーターボートに爆弾を搭載して特攻した震洋や地雷などを抱いて戦車に特攻した兵士達を慰めるために建てられているお堂です。「特攻なんて犬死だ!愚策だ!」と言われる方も多いとは思いますが、彼らの多くが一日でも、一人でも本土や離島に住む人達を救いたいと命を投げ出した事は靖国神社の遊就館に残された彼らの遺書からも読み取ることができます。
 さて、そんな中で、今のU国情勢です。当初、世界第二位の軍事力を持ち、国連のP5、常任理事国のR国が圧倒的するであろうと目されました。それは素人の私だけではなく、某国の大阪総領事もこう書かれています。


  しかし、実態はどうでしょう。U国の人々は果敢に立ち向かい、それに呼応するように自衛官経験者を含む多くの外国人も義勇兵として参戦する一方、日本を含む多くの国から武装や食料、難民救済の手が差し伸べられています。一方のR国は自国通貨レートが劇的に下がり、SWIFTからのほぼ全面的な締め出し、禁輸等の厳しい経済制裁が兵糧攻めのように効いてきています。
 そのためでしょうか、キエフ近郊のブチャでは退却する中で多くの市民を虐殺、レイプ、拷問と言った暴挙、また他の地域でも民間人の連れ去り、僻地での強制労働をさせていると言われます。これはまるで第二次大戦末期から戦後、日本が北方領土や樺太、満州で経験した事と同じなのですね。
 さて、観音寺には「神州不滅特別攻撃隊之碑」と言う石碑が建てられています。後年、「妻と飛んだ特攻兵」としてドラマなどにもなっているのでご存じの方も多いかも知れませんが、8.15の玉音放送の後、ほぼ歴史の中で埋もれかけていた特攻隊の記念碑、慰霊碑です。日本では、8.15で戦争が終わったと思われているかも知れませんが、武装解除命令が出る一方で、本土以外の先程書いた地域や南洋の島々の人たちが取り残された形になりました。特に悲惨だったのが先程書いた地域です。日ソ不可侵条約があると言うことで、樺太など十分な装備もなく戦車の車列に地雷を抱えて飛び込むくらいの対抗手段しかなかった上で武装解除です。多くの記録が残されていますが、先程のブチャと同様に陵辱、虐殺が当たり前に行われ、多くの兵隊達がシベリアに抑留され極寒の中で強制労働をさせられていました。そんな状況になるのが判っていたのでしょう、神州不滅攻撃隊は武装解除命令を無視します。そして私達が終戦したと思っている8.19、ソ軍の戦車隊に向かって出撃します。当然、この時点で特別攻撃を命じた事もなく、あくまで隊員の独断で行われたと言われていますし、それを批難する向きもあるそうです。しかも、その中には自分の妻を同乗させて特攻に向かった人もいたのです。
 この事は、その後のソ…R国が行った多くの蛮行を止める効果は無かったのかも知れません。しかし、先程も書いたように他の特攻隊員と同様に一人でも多くの人を救いたい。そう考えて自らの命を投げ出したわけです。恐らく、数十人・数百人と言う人は、この特攻によって救われたのではないでしょうか。
 
 一時期、近代史…第二次大戦(大東亜戦争)の集結までのトピックを拾い上げ、自分なりに勉強した次期があったのですが、この神州不滅特別攻撃隊に限らず、武装解除命令を無視して、日本人の生存の為に犠牲になった兵士が数多くいたことを私達は忘れてはいけないと思いますし、U国で勇敢に戦っているU国の兵士、義勇兵、そして市民の皆さんには深く敬意を顕したいと思います。また、第二次大戦から既に70年以上も経ちながら、当時と変わらず弱者に対して暴挙を働いていることに、魂の遺伝があるのでは無いかと疑いたくもなってしまいます。
 自由と民主主義、そして法治と言う事が当たり前だと思っている日本人の中でも、今回のU国の人たちに「他人事じゃ済まされない」と思っている人が多くいると思います。その思いは必ず、神様や仏様に伝わります。覇道を推し進める為に弱者を人として扱わない側には、必ず天罰が下る。そう思って、毎日、お祈りをしています。
 侵略者に負けず、頑張る皆様に心から応援を申し上げます。