唐突に質問です。初めて有った相手と直ぐに打ち解けた話が出来ますか?頼み事や愚痴を胸襟を開いて聞いてあげることができますか?

 凡人の中の下あたり…には居たい私にはできません。やはり鬱のお陰で様々な方とお話する機会が増えていますが、例えばお通じの話や経済的な問題をお役目でもない人には話せませんし、逆にお話を聞くこともできません。最初は時候の挨拶や仕事で必要な事柄を聞いたりする。それがメインであることが礼儀だと思っています。

 で、神社やお寺の話をしますね。大きな寺社へは
・観光の目玉として訪れる
・所願成就を叶えてくれる参拝
のどちらかではないかと思います。まぁ、両方と言うのが一般的ですかね。
 日頃から参拝している神社、少なくとも年に一度は何かしら参拝しているなら良いとしても、初見で、このどちらかでご利益って頂けるんでしょうか?正直、そうあって欲しい。と言うのが凡人の中の下の希望なのですが、中々、そうは行かないものでしょう。だって初対面でずぅずぅしい事を思っちゃってる訳ですから。
 例えば…、私が明日、初めて住吉大社へ参拝に行くとします。そうなったら、その前に近所の稲荷神社や氏神様の境内にある稲荷社へ参拝しておくと思います。理由は簡単です。由緒は兎も角、恐らくは御分霊などで祀られたお稲荷様を「出張所」として考えれば、本社(会社で例えているので「ほんじゃ」ではなく「ほんしゃ」です)への伝達は速やかに行われるはずですから、決して初対面とはならないと思うんですね。
 これは、お寺でも同じで「○○寺のお不動さんは霊験あらたかだから」とお参りするなら、日頃から近くのお不動さん、路傍にある祠のお不動さんでも良いので挨拶はしておいた方が、気持ちが通じるように思います。

 少し話は変わりますが、天皇陛下の祭祀の中に「四方拝」というものがあります。五穀豊穣、国家安寧を祈って、神宮皇大神宮(内宮)・豊受大神宮(外宮)に向かった拝礼の後、天と地の神様=天神地祇、そして神武天皇陵、先帝三代の各御陵、更に常陸国一之宮(鹿島神宮)、下総国一之宮(香取神宮)、武蔵一宮(大宮 氷川神社)、熱田神宮、山城国一之宮(賀茂別雷神社=上賀茂神社)・賀茂御祖神社(=下鴨神社)、石清水八幡宮をご遥拝される儀式です。
 幸い、東京という場所に住んでいると、これらの神社から御分霊や同じ御祭神をお祀りしている神社が沢山あります。その中でも、自分がご祈祷を受けたり、特別な思いを持っている神社や日頃から頼りにしている神様や仏様にご遥拝をすることは、私達にも出来ることですよね。そして、その神社やお寺が「出張所」となって「本社」に伝達しておいてくれるので、もし時間とお金に余裕ができれば、本社に言ってもドギマギしなくても済むし、決して「一見の客」扱いされずに済むと思うのです。

 これは完全に私の妄想的な世界ですが、お稲荷様との関係を少し書いておきます。何度か、このブログでも書いている通り、時々、ある神社の拝殿に上がって瞑想をさせて頂いています。一回、30分程度、瞑想と言っても無我の境地を目指さず、客観的には自問自答、私の中ではお稲荷様との会話を楽しむ時間です。拝殿に入ると脱帽し、カバンなどの荷物を端に寄せ、本殿に向かって正座をして二礼二拍手一礼。
 その中で「お邪魔致します」と心のなかで申し上げてから瞑想の時間に入っていたのですが、最近は何となく正座をした時点で「楽にして良いのに。かしこまってないで話をしましょう」と言われている気がします。そして、別のお稲荷さんにお詣りしても「うん、ここにも来れたね」と言われているような…。つまり、神社は違え、お詣りの対象がお稲荷様なら同一人格(?)で会話(双方向参拝)ができているようなんです。そして、時には「うーむ、ちょっと荒れたお稲荷さんだなぁ」と思う神社に入るとお稲荷さんの声は聞こえなかったり、か細い声で「ちょっとここで話するのは辛いやね」と言われている気がして早々に退去することもあります。こうして妄想の中でも「気心を理解してくれている神様」がいると、土地勘のない場所で歩いていても、何かそれに同行してもらえているような気がしますし、時にはGoogle Mapに乗ってない神社に、何故か行き当たったりもするから不思議です。曲がる道を間違えただけなのに、とか、結構、あるんです。
 そうこうしていると、お稲荷様の他にも氏神様の八幡様や、お寺ならお不動様や観音様、弘法大師などもお力を普段から頂けてる気がするから、更に不思議です。アイドルなら推しメンは一人に絞るべきなんでしょうが、神様や仏様は推し!と言うよりお付き合いの幅が広がるような感じなのですよね。それが、あしげく神社仏閣巡りをする理由のひとつなのかも知れませんね。

 そしてもう一つ、神様や仏様と親しくなる為に、唱え言葉やご真言を手を合わせながら小さく呟いてみるのも良いと思います。神様・仏様への尊崇の念がより伝わりやすくなると思います。
 特にご真言は仏様ごとに違う言葉を覚える必要があります。それだけハードルが高いわけですね。そのハードルを乗り越えると、自分の尊崇と言う心の自信になるのですから、ちょっと頑張ってみる価値はありそうです。
 ただ、元がサンスクリット語ですから、どうしても覚えにくい。お寺によっては、ひらがなでご真言を書いてくれているところもありますが、字面だけ追っていると合っているかどうか、怪しくなってきます。そこで便利なのがYoutubeです。特に、金剛蔵王大権現建治寺の動画は、多くの動画があるだけではなく、太鼓のリズムと真言やお経などの抑揚が心に染みる感じがして、画面に出てくる文字を追いながら、少しずつそれに合わせて唱えていくと段々、歌を覚えるようにお経やご真言が唱えられるようになりそうなので、オススメです。