ここのところ、なんやかんやとお参り行脚が多く、中々、サイトもブログも更新が出来ていなくて、なんとなくごめんなさい。という感じです。
 そして、とうとう一昨日には春一番が吹き、一気に春めいた日が続くかな?と期待していたら、昨日今日、結構な寒の戻りで底冷えしていますね。
 そんな昨日は、新馬場から高輪へと江戸三十三観音の札所巡りを中心に行脚してきました。その中でもメインと言って良いのでしょうか、高野山 東京別院へお参りしてきました。周囲の土地勘はあるのですが、ここは私の頭の中にある地図では真っ白な場所。想定していたのは、成田山や川崎大師の別院のような雰囲気だったのですが…、まずは大きな伽藍にびっくり。まずは山門脇にあるお大師様にご宝号を唱えて山門を入ると、ズラッと並んだ四国八十八ヶ所のお砂踏場があり、それぞれの御本尊が並べられています。なんとなく素通りが出来ず、一尊一尊に手を合わせ、ご本尊のご真言を覚えていれば、それを唱えつつ、一歩ずつ本堂へと近づいていきます。それにしても大きなご本堂です。規模感だと池上本門寺ぐらいはありそうですね。
 本堂の中に入ると、椅子が並べられ、その向こうに神社なら拝殿のようなご法事やご祈祷を頂く方のスペース、そして、その向こうにお大師様がおわす。という奥行きのあるお堂です。
 ここまでの道のりが結構長く、少し溜まった脚の疲れもあって、その椅子に座って暫くご宝号を頭の中で唱えていると、何となくお大師様と気持ちがつながった気がしてきて、コートも脱いで寒いはずが胸のあたりからポカポカとしてきます。これも神仏プラシーボ効果でしょうか。
 そして何となく「心に灯明を」と言われたような気がしていました。今、私がやろうとしていることは、私にとって未知の領域(まいど、そんな事ばかりやってきたのではありますが)。そんな時には暗中模索、指やつま先に当たる感覚で先に進めるかどうかを探り探り生きてきた訳ですし、今も、そんな事をしようとしています。ただ、神仏プラシーボ効果のお陰でしょうか、そして、今回のお灯明でもそうですが、進もうと思う方向が間違っていない気がするのです。いつもなら「会社がー」「あいつがー」と阻害要因を見つけて、説得するための「証拠」「実績」を探りながらお客様との案件を醸成してきたのですが、今は、阻害要因は即ち自分です。どうしても気が乗らなかったり、指に気持ちが入らず、ただ時間ばかりが過ぎることも多いのですが、確実にサイトのPVも増えてきていて、もしかしたらモノになるかもとも思えてきました。後は自分の努力。やりたいように努力をすれば良いだけなんですね。
 今のウクライナ情勢を見て「神も仏もない」と言う人もいるかもしれません。私も無辜の民が亡くなる姿に、そして自己犠牲の精神で家族を国境まで送り届けた後、再び国内に戻る男性達の姿に胸が苦しくなってきます。でも、それでも神も仏もいると思うのです。
 「どうせ負ける戦争なんだから、とっとと安全な所へ逃げろ」と元政治家が仰っているようですが、婦女子を安全圏に置いて、そして不利な戦いに臨む姿に胸を打たれない人はいないと思うのです。それが人の道なのではないかと思いますし、仏性というものなのではないでしょうか。私のようなモノにも小さいながら仏性はあるようで、先日はウクライナ大使館へ直接出向いて本当に少額ですが寄付をさせて頂きました。対応された大使館員の女性は「日本語はできないけれど、日本の人がウクライナ人に寄せる思いに感謝しています」と深々とお辞儀をされる姿。また、私の後ろに並んで寄付や献花をされている人たちの姿を見て仏性を感じざるを得ませんでした。そんな人達の優しさや胸苦しさが集まって、きっと異教とは言え、相通じるもの「神」という存在に高まるのかもしれないな。と思った次第です。

 もし、ご寄付をされたい場合には、下記のツィートで案内されていますので、銀行振込も可能です。


 いつもの如く、表題と内容がかなり違ってしまいましたが、ウクライナの人たちの心のなかにも灯火が点るように心から祈っています。