時々、オカルト系の動画などで心霊スポット扱いされたりする神社があります。
確かに「廃神社」と言われるような、土地の過疎化に伴って人知れず、お世話もされなくなったり、あるいは納のご祈祷もなく寂れ果てたような神社には行くべきではないと思います。
ただ、時々「鎮めの神社だから」と言うような神社があるから軽々に神社にお参りすべきではないと言うのは少し違うかな?とも思うのです。
まず鎮め、沈めでも静めでもないと思いますが土地や何らかの理由で亡くなった御霊の鎮護にと建立された神社は数多くあります。東京だと江東区の高尾稲荷神社などは、その例だと思いますし、将門公の首塚も含まれるのではないかとも思います。しかし高尾稲荷などは女性へのご利益で知られていますし、将門公は首塚に限らず、多くの神社で祀られていて、その代表格が神田神社だったりする訳です。
また、富士山の周囲には浅間神社が数多くありますが、これらは富士山の噴火を鎮めるために建立されたところから始まっています。浅間=あさまは、群馬県の浅間山を指しているわけではなく、荒れる山、つまり火山を指していると言わていますから、噴火しないよう、噴火の被害が及ばぬようにとの願いが込められていると思いますし、実際に噴火、そして雪代(ゆきしろ)と言う雪崩によって村落が消失してしまうくらいの被害自体、そしてその被災者を鎮める意味もあったのではないでしょうか。
また、将門公を含め、崇神天皇や菅原道真公など不遇な生涯を終え、祟り神として恐れられた後、その神通力や呪力を鎮めるためにとの思いから建立された神社もあるかと思います。が、今ではどれも、総本社だけではなく、各地に勧請された神社もそれぞれの「ご利益」を願う人達で溢れています。
私自身は経験はありませんが、もし土地の人から「あそこは止めておけ」と言われれば、当然、お参りは控えますが、あつものに懲りてなますを吹くように「軽々に参拝するな」は少々、行き過ぎではないかと思うのです。逆に言えば、軽々に参拝せず、しっかりと感謝やお礼を言うなら大抵の神社には参拝すべきだと思っていますし、実際にだから、自分の脚で見つけられるだけの神社を探し、邸内社や企業所有の神社でもオープンなスペースに鎮座していたり、守衛さんや警備の方にお断りしてお参りをしています。
ただ、それでも「あ、ちょっと」と思う神社があるのは確かです。一つは、そろそろ少なくなりますが、夏の間などは夜露を凌ぐためでしょうか、小さな神社の社殿脇に寝床を作るホームレスの方がいる場合、そしてそれが許されてしまうような、正直、誰も手入れをしていないような神社なら余計なトラブルを避けるべきでしょうし、境内が雑草で覆われ、社殿も傾いているような神社では鳥居前からの遥拝で済ませたり、あるいは社殿で手を合わせて御礼だけをして引き上げることもあります。(お願い事をして変なのが付いてきたら嫌ですからねw)。
そういった事がなければ、少なくとも都内の神社、銀座や日本橋など路地裏にひっそりとあるような神社でも変に心配せずに堂々と参拝されたほうが良いと思いますし、そういう神社の中に知る人ぞ知る「パワースポット」があったりもします。
神社に行こう!と思った時が吉日です。偶然、神社を見つけたするのも、実は偶然ではなく必然だったのかもしれません。気づいたとき、思い立ったときには是非、神社に足を運んでみてください。
確かに「廃神社」と言われるような、土地の過疎化に伴って人知れず、お世話もされなくなったり、あるいは納のご祈祷もなく寂れ果てたような神社には行くべきではないと思います。
ただ、時々「鎮めの神社だから」と言うような神社があるから軽々に神社にお参りすべきではないと言うのは少し違うかな?とも思うのです。
まず鎮め、沈めでも静めでもないと思いますが土地や何らかの理由で亡くなった御霊の鎮護にと建立された神社は数多くあります。東京だと江東区の高尾稲荷神社などは、その例だと思いますし、将門公の首塚も含まれるのではないかとも思います。しかし高尾稲荷などは女性へのご利益で知られていますし、将門公は首塚に限らず、多くの神社で祀られていて、その代表格が神田神社だったりする訳です。
また、富士山の周囲には浅間神社が数多くありますが、これらは富士山の噴火を鎮めるために建立されたところから始まっています。浅間=あさまは、群馬県の浅間山を指しているわけではなく、荒れる山、つまり火山を指していると言わていますから、噴火しないよう、噴火の被害が及ばぬようにとの願いが込められていると思いますし、実際に噴火、そして雪代(ゆきしろ)と言う雪崩によって村落が消失してしまうくらいの被害自体、そしてその被災者を鎮める意味もあったのではないでしょうか。
また、将門公を含め、崇神天皇や菅原道真公など不遇な生涯を終え、祟り神として恐れられた後、その神通力や呪力を鎮めるためにとの思いから建立された神社もあるかと思います。が、今ではどれも、総本社だけではなく、各地に勧請された神社もそれぞれの「ご利益」を願う人達で溢れています。
私自身は経験はありませんが、もし土地の人から「あそこは止めておけ」と言われれば、当然、お参りは控えますが、あつものに懲りてなますを吹くように「軽々に参拝するな」は少々、行き過ぎではないかと思うのです。逆に言えば、軽々に参拝せず、しっかりと感謝やお礼を言うなら大抵の神社には参拝すべきだと思っていますし、実際にだから、自分の脚で見つけられるだけの神社を探し、邸内社や企業所有の神社でもオープンなスペースに鎮座していたり、守衛さんや警備の方にお断りしてお参りをしています。
ただ、それでも「あ、ちょっと」と思う神社があるのは確かです。一つは、そろそろ少なくなりますが、夏の間などは夜露を凌ぐためでしょうか、小さな神社の社殿脇に寝床を作るホームレスの方がいる場合、そしてそれが許されてしまうような、正直、誰も手入れをしていないような神社なら余計なトラブルを避けるべきでしょうし、境内が雑草で覆われ、社殿も傾いているような神社では鳥居前からの遥拝で済ませたり、あるいは社殿で手を合わせて御礼だけをして引き上げることもあります。(お願い事をして変なのが付いてきたら嫌ですからねw)。
そういった事がなければ、少なくとも都内の神社、銀座や日本橋など路地裏にひっそりとあるような神社でも変に心配せずに堂々と参拝されたほうが良いと思いますし、そういう神社の中に知る人ぞ知る「パワースポット」があったりもします。
神社に行こう!と思った時が吉日です。偶然、神社を見つけたするのも、実は偶然ではなく必然だったのかもしれません。気づいたとき、思い立ったときには是非、神社に足を運んでみてください。
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