社会人生活の大半を外資系企業で勤務したり、あるいは国内企業で外資との窓口をやってきました。留学経験があるわけでも帰国子女だった訳でもない私が!です。
 英語を読むと言うことは、社会人の初期に「お前がやる仕事は、これが読めなきゃ無理だから」と言われて1,000ページぐらいの英文マニュアルを3ヶ月ぐらい、片方で下仕事のようなプログラミングをしながら、ひたすら「読解する」お仕事が与えられました。同期の殆どが「おまえ何読んでんの〜?」と鼻で嗤うような必死の努力で、金曜日は会社のコピー機を占領して、週末に読了する分を自宅に持ち帰って読まなきゃ間に合いません。しかも、内容が理解できないところが出てきても、質問して答えてくれる先輩や上司は殆どいなくて「プログラム書いてみればー」とか、「○○さんじゃないと解んないよ」と逃げまくられる状況。それだけに必死だったし、読み終えた時には、それなりに判ったつもりにはなれました(実戦では、更に上の上の上のレベルが求められたのは当たり前のことですけど)。
 書くことは、海外から来た製品のバグや仕様の確認を「自分」がやらなきゃいけない立場になって、これも必死で書きまくりました。今から思えば失礼きわまりない文章だったのは言うまでもないのですが、これで、どうすればスムーズにやり取りができるのか、ふん詰まるような状況に陥ったら、それが自責…例えば、聞き方が悪かったり調査不足があったりするのか、逆に他責…例えば、相手のやる気がそもそもないのか、痛いところを突いているのかなどなど、ただ質問を送るだけでは解決できない立場になって、製品担当だけではなく、そのサポート役やレポートラインなどの使い方なども含めて学習して、これで英語の「読む・書く」はIT業界に限ってですが何とかなるという自信ができたんですね。
 そして「話す・聞く」ですね。話すと言うことはボキャブラリーがどれだけあるかによって変わります。幸い、おバカな高校の時に超スパルタ教師(今なら訴えて良いレベル)が単語と熟語、慣用句に集中した授業をしてくれたお陰で、中学生相当ぐらいの数は抑えていました。そのお陰で話すことには、それほど苦労することなく、聞く方も主題さえはっきりしていればついていけるし、恥も外聞も気にすることなく「Pardon」を繰り返すこともして、そしてこれは日本語での理解共有でも必要だと思うのですが、「鳥は空を飛ぶ」と言われた時に「あー、飛行機も同じ理屈で空を飛べるんだよね」…これ良い例えかな?と、自分が相手の言わんとすることの芯を把握するように確認していくことで齟齬なく理解できるようになり、徐々にですが折衝もできるようになった訳です。
 そうこうする中で、海外への出張機会も出来てきます。すると現地のスタッフとプライベートな時間、まぁ夕飯を食べに行ったりするわけです。ドイツなどヨーロッパはともかく、アメリカのシリコンバレーやオーストラリアに行くと「このビルは、この地域では一番古いビルなんだ」とか「ここから、この街が始まったんだ」と、街や地域の歴史を結構、誰でも語れるんですよね。幾ら私達が2,600年以上の歴史ある国に住んでると言っても、そうそう「東京最古の○○」って思いつかないですよね。でも、彼らはたかだか数百年の歴史だからこそなのですが歴史を語れるんです。で、ふと思ったんですよね「あれ?自分の街の歴史ぐらい語れなきゃ、無知をさらしてるようなもんじゃないのか?」って。
 その一方、仕事で海外に行くようになって、プライベートの旅行先が国内に偏るようになりました。すると単に景色を眺めたり、温泉に浸かっているだけではなく、名所として神社仏閣や史跡にお邪魔する機会が増えてきました。歴史は元々好きでしたし、信長の野望などで、それなりに戦国武将を知っているつもりにはなっていたのですが、意外なところで見知った武将や人物の名前が出てきたり、あるいは、その家系に連なる人が出てきます。ついつい戦国時代にばかり目が行きがちだった私の歴史感が、室町や鎌倉、更にそれ以前にまで連続していく事に気づきました。その連続性は、単一の神社で理解できることもあれば、その周辺の神社やお寺と合わせ鏡のようにすることで理解できることもあります。
 逆に、明治維新や関東大震災、そして戦災、更には宅地化に伴って氏子会が衰退することで「詳細不詳」と言う事もどんどん増えていることも解るんですね。例えば地名で「八雲」や「氷川」があれば、付近には素戔嗚尊を祀った神社があった(はず)なのですが、現在の地図では神社の記号はついていません。同様に「稲荷」や「宮」といったところでも、すでに廃社や合祀で消えてしまっていることも多いのです。
 私の神社行脚、特に土地勘の無いところを歩くときには、こういった地名から神社があるのではないかとGoogle Mapをズームインして探すことが多いのですが、見つからないときには、近隣の神社で由緒書などを探して「消えた証拠」を見つけることも目的になっていたりもします。
 そうすることで、なんやかんやと700社寺以上を巡り、それなりに調べつつサイトのページ数が増えてきました。
 でもね…。神社って行く度に素朴な疑問を投げかけてくれることがあるんですよね。この狛犬はいつできたんだろうか?とか、ここに何故、こんなに大きな石をおいているんだろうか…とかね。
 汲めども尽きない泉のようなもので、それも表現できるようなサイトにしていければなぁ。なんて思っていたりします。