最近、お寺で最近、目に入ってくるのが、御本尊やお堂にある仏様のご真言です。私も守本尊の勢至菩薩、そして大好きな不動明王、地蔵菩薩、そして光明真言は暗唱できているのですが、最初は、意味もわからず暗号を読んでいるような、そんな雰囲気でした。
 神道の唱え言葉も近いものがありますが、唱え言葉は、基本が日本語ですから判り難くとも皆目わからない訳ではありません。しかし、ご真言の多くはサンスクリット語が元になっていますから、全く分かりません。
 ただ今の時代は便利なもので、不動明王のご真言…火界呪、慈救呪、一字呪などを僧侶自身が説明してくれているので、予めご本尊のご真言を頭に叩き込んでからお参りすることができるようになりました。
 とは言え、火界呪のように長いものになると、ちょっと暗唱は無理ですけど…。

 ご真言の中には日本語に訳する事ができない…つまり意味が不明なものもあるようですが、基本として、対象となる仏様に対する帰依、称賛がその内容になっているようです。そして、幾つかのご真言が判ってくると法要の動画で「あ、地蔵菩薩だ」とか内容を部分部分で掴めたりして嬉しくなってきたりもします。
 でも、例えばお不動様が本尊のお寺へお参りして、他の仏様のお堂を見つけたら…たぶん、そのご真言が書かれていれば、それを心のなかで読み上げるのですが、それも無い時にはどうするか。私は光明真言を唱えるようにしています。光明真言で如来様に伝言をお願いしたつもりになっているわけです。何もしないよりは、マシだよね。という感じで…ごめんなさい如来様。

 不思議なもので、ご真言を覚えている仏様には心が近づいた気がします。すると初見のお寺でもご本尊にさっと近づいた感覚でお参りできるようになるんですよね。本当に感覚的なものですが、他人の家に行って居場所もなく心細い感覚…って判りますかね?初見のお寺って、そんな感じがすることがあるのですが、御本尊をネットで調べて分かっていれば、この感覚がなく本堂さえ見つかれば、ご真言と共にきっちり参拝した気分を味わえます。