以前に書いたかもしれませんが、今、私は心の中で龍を飼っています。別にデムパ系の話ではなく、完全に自分の中のイマジネーションで作り上げた龍です。イマジナリーフレンドと言って子供があたかも実態があるように他の人には見えない友達と遊ぶ事があるそうですし、大人でもある日、実態化したかのような犬や猫が目の前に現れる事があるようですが、少しだけ似ているのかもしれません。
 ただ、私の勝手な想像、イメージなので、目で見たことは全くありません。それでも私が辛いとき、しんどいときには赤、ぼぉーっとしていると黄色、嬉しかったり快調なら瑠璃色に体色を変化させて意思をしめしているように思います。
 瞑想をしている最中には、必ず、この龍を意識して精神の集中を図り、できるだけ瑠璃色になってもらえるように意識を整えています。
 ところで話は変わりますが、私の大好きな仏様「不動明王」についてサイトで加筆をしている時に「迦楼羅炎」と言う言葉を知りました。観音様などが背中に放射状に五光を置いているのと同じような形で、不動明王は背中に炎を背負っていますが、これを迦楼羅炎と言って、迦楼羅と言う仏教の守護神が吐いた炎、あるいは、その迦楼羅、つまりはヒンドゥー教の聖鳥ガルーダ自体を示しているのだと言います。
 このガルーダは、毒龍や毒蛇を喰らい人々を救済する役割を持つと言われていて、不動明王が人々を救済するサポート役になっているのでしょう。
 で、ちょっと考えたのが、「あれ?お不動さんが好きだと龍が食べられちゃうのか?」と。
 しかし、よくよく考えてみると、お不動さんは左手に羂索と言う縄のようなもの、そして右手には利剣、あるいは利剣と言う剣を持っています。お不動さんによっては、この利剣が「倶利伽羅剣」と呼ばれるものになっているのですが、この倶利伽羅とは倶利伽羅竜王と言う龍が利剣に巻き付いたものです。となれば、お不動さんが好きでも良い龍は迦楼羅と共に魔を祓ってくれるんだな。と勝手に安心してみたりしています。
 仏像の世界は深く、指の形、足の裏など一つ一つに意味を持っています。そういう事を、好きな仏像、あるいは守本尊から知っていくことは、人生にとって良い「雑学」になりそうです。
 私のイマジナリーペットの龍(まだ命名してません)と共に成長していきたいと思います。

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